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コメント(私見):
産婦人科の場合は、いつお産になるか全くわからないので、分娩件数が多かろうが少なかろうが、24時間体制で誰かが常に病院の近辺に拘束されます。例えば、年間分娩件数が150件程度の施設だと、平均すれば分娩は2~3日に1件程度しかないので、分娩に備えてずっと病院内に張り付いていたとしても、実質何日もほとんど手持ち無沙汰のこともあるかもしれません。しかし、いくら仕事がなくても、いざという時に備えて病院から離れることができません。そして、いざお産が始まって、いよいよ産婦人科医の出番だと思って張り切っても、分娩経過が異常化した場合は、常勤産婦人科医1人だけでは十分に対応できず、人手が十分に整っている施設に救急車で母体搬送せざるを得ないかもしれません。
現代の産婦人科の診療では、個人プレーでできることには大きな限界があり、周産期の診療にしろ、婦人科腫瘍の診療にしろ、非常に大きなチームで行う必要があります。しかし、地方の公的病院では、病院単独でいくら医師確保の努力をしても、必要な常勤医師数をすべて自前でまかなうのは非常に困難です。
地域に産婦人科の機能を残していこうとするのであれば、将来的に地域で必要とされる産婦人科専門医をいかにして養成していくのか?また、養成された産婦人科医をいかにバランスよく各地域に配置していくのか?ということを真剣に考える必要があります。
現状では、国や県には医師派遣機能をほとんど期待できません。また、民間の医師派遣会社に依存して、地方拠点病院の産婦人科常勤医を長期・安定的に確保していくのも不可能です。いろいろな意見があるとは思いますが、現実的に考えて、地方の拠点病院に産婦人科医を長期・安定的に供給できる機関は、大学病院以外に考えられません。
病院や医師の集約化は、相当強力なリーダーシップが存在しない限り、実行は非常に困難です。もしも、『多くの人を引きつけるカリスマ性のある教授の強力なリーダーシップの下に、毎年新たな人材が安定・継続的に確保され、大学病院や県内各地の拠点病院で多くの有能な人材が育ち、県内各地で医師が適正に配置されるような状況が実現する』とすれば、それはそれで理想的なあり方の一つだと思います。
****** 毎日新聞、北海道、2009年2月13日
医療クライシス:北海道緊急事態/1
産科空白地区・根室
◇分娩中止2年、再開メド立たず
◇病院遠く車内で出産
「ここで産むしかない」。08年6月9日早朝、突然の陣痛に襲われた渡辺愛(まな)さん(18)は、根室市内の実家から約120キロも離れた釧路市内の病院へ向かう途中、夫智明さん(29)の運転する自家用車の中で破水した。
病院まで300メートルに迫ったところで赤ちゃんの頭が出てきた。智明さんは慌てて車を止め、自ら赤ちゃんを取り上げた。「オギャー」。元気な泣き声を上げた2750グラムの長男はそのままバスタオルにくるんだ。急いで病院の玄関前まで車を移動させ、待機していた医師に車内でへその緒を切ってもらった。
根室市内は分娩(ぶんべん)できる医療機関のない「産科空白地区」。愛さんの出産予定日は6月21日だった。一歩間違えば母子の命にかかわる危険な状況。愛さんは「まさか車の中で産むことになるなんて。とにかく痛くて、一刻も早く病院に着いてくれることだけを考えていた」と振り返る。
渡辺さん一家は今、智明さんが牛のひづめを整える牛削蹄師(ぎゅうさくていし)の資格を取るため根室管内中標津町に住む。智明さんは「できれば根室で開業したいけど、次の子を産むときのことを考えると……」。安心して子どもを産めない根室市に戻ることには二の足を踏んでいる。
◇
根室市が産科空白地区になったのは、市立病院が分娩を中止した06年9月以降。妊婦健診は釧路赤十字病院から週2回、産婦人科医が派遣される市立病院で受けられたが、出産予定日の10日前までには釧路市や根室管内別海町、中標津町の病院に入院するケースが多い。同市の07年出生数は230人。産科医不在による最悪の事態は免れているものの、07年3月にも当時23歳の女性が約60キロ離れた別海町の病院へ向かう途中に「マイカー出産」したという。
市立病院には今年1月、根室の緊急事態を聞きつけた産婦人科医の吉田孝さん(42)が広島県福山市から赴任した。しかし、分娩再開に必要な産科医2人体制を確保できるメドはまだ立っていない。
◇
産婦人科医の不足は全国的に深刻で、96年に1万847人いた産婦人科医が06年には11・5%少ない9592人に急減した。この傾向は道内ではさらに顕著で、479人から381人へ20・5%減となっている。
このため道内の産婦人科・産科の医療機関数も96年の255から05年は198まで減り、分娩を扱っているのは07年12月現在104。南檜山地域では出産できる機関がゼロとなり、道内31病院が指定されている「周産期母子医療センター」のうち市立函館▽道立江差▽滝川市立▽旭川赤十字の4病院は分娩を休止している状況だ。=つづく
× ×
医師不足や医療費削減、さらに自治体財政の悪化などによる「医療クライシス」が進んでいる。過疎化の進んだ地方だけでなく、札幌の都市部にも危機が潜む道内の現状を連載で報告する。
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■ことば
◇医師不足
医師の総数が減っているわけではないが、産婦人科や小児科、外科など激務といわれる診療科の勤務医不足が全国的に社会問題化。特に地方の医師不足は深刻で、04年度から始まった新卒医師の臨床研修制度により大学医局から地方に派遣される医師が減ったことも背景にある。産婦人科医などは訴訟リスクの高さも敬遠され、不足に拍車がかかっている。厚生労働省は昨年、従来の医師抑制方針を転換し、医学部の定員増を打ち出した。
(毎日新聞、北海道、2009年2月13日)
****** 毎日新聞、北海道、2009年2月14日
医療クライシス:北海道緊急事態/2
未熟児救う高度治療
◇NICU増えても医師不足
◇都市部にも「落とし穴」
小さな命が懸命に生きようとしていた。
1月下旬、札幌市中央区の市立札幌病院9階にある新生児集中治療室(NICU)を特別に見せてもらった。体温や脈拍をチェックするモニターがずらりと並び、プラスチックのふたに覆われた九つの保育器は、鼻や口に細い管を入れられた小さな赤ちゃんたちで満床状態。元気な泣き声は聞こえず、室内は静寂に包まれていた。
◇
07年11月15日夜、札幌市北区の女性宅で生まれた未熟児の受け入れ要請があったときも満床だった。同病院には、NICUでの治療が一段落した赤ちゃん用の回復期病床(GCU)が32床あり、比較的状態の落ち着いた子をGCUに移すことも考えられたが、当日は1人しかいない新生児科の当直医が治療で手が離せなかったため受け入れを断ったという。
この未熟児はほかの6病院でも受け入れを断られ、119番通報から約1時間半後、同市手稲区の病院に搬送されたときには心肺停止状態で、後日、死亡した。札幌ほど新生児の治療体制が整っていない地域では、NICUが満床でもGCUをやり繰りするなど無理をしてでも受け入れているのが実情。市立札幌病院新生児科の服部司部長は「(札幌市内には)他にも高度な医療を行う病院が複数あるという状況が落とし穴だった」と救急・病院間の連携のまずさを認める。
◇
同市ではその後、市産婦人科医会が産科救急の輪番制から撤退する事態となったため、市夜間急病センターに助産師2人を配置し、救急搬送可能な病院の情報を集約して救急隊と連携する新システムを08年10月から導入。妊婦・新生児の受け入れ拒否は起こらなくなっている。しかし、市産婦人科医会の遠藤一行会長は「患者の生命に危険が及ぶ問題が起きないとは限らない」と指摘する。NICUと小児科・新生児科の医師数を増やさない限り根本的な解決にならないからだ。
医学の進歩により数百グラムの体重で生まれた超未熟児も救えるようになり、一方でリスクの高まる40歳以上の高齢出産も増加。2500グラム未満の未熟児の出生割合は札幌市内で88年の6・8%から06年は9・7%に増えた。市立札幌病院は09年度にNICUを6床、北海道大学病院も3月までに3床増やす計画だが、NICUの需要を賄える保証はない。新生児科医を含む道内の小児科医は06年12月末現在1117人。10年間で351人も減っており、ここでも医師不足が大きな壁となって立ちはだかる。
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■ことば
◇NICU
未熟児や重い病気を抱えた新生児を24時間体制で治療する新生児集中治療室。国は年間出生数1000人当たり3床を整備基準とし、病床数に応じた医師・看護師数の配置を求めている。札幌市を含む道央圏には104床あり、国の基準(78床)は上回るものの、医師・看護師数も満たすのは57床にとどまる。道内のほかの医療圏も道北27床▽オホーツク15床▽釧路・根室15床▽十勝13床▽道南12床で基準に達しているが、医師・看護師数を満たす施設は半数もない状況だ。
(毎日新聞、北海道、2009年2月14日)
****** 朝日新聞、岩手、2009年2月12日
「県周産期医療情報ネットワーク」稼働へ
深刻な産婦人科医不足が続くなか、県内の病院と自治体を情報通信技術(IT)で結ぶ「県周産期医療情報ネットワーク」が、09年度から稼働する。独自の医療情報ネットを構築して全国的な注目を受けた遠野市の仕組みを、県が拡大展開するかたちだ。個々の病院や市町村の参加がカギを握ることになりそうだ。
◇
「県周産期医療情報ネットワーク」は、経済産業省の医療情報システム実証事業を活用して遠野市が設置した市助産院「ねっと・ゆりかご」の医療情報ネットを発想の基盤にしている。
遠野市では02年から市内に産婦人科常勤医がおらず、出産できない。妊婦健診を受けようにも、車で1時間以上かけて盛岡などの産婦人科に出向かなければならない状況だった。
そこで07年12月、市内に公営助産院をつくって盛岡赤十字病院など提携医療機関とネットで結び、妊婦の医療データをスムーズにやりとりしたり、検査データを即時に送ることで遠野に居ながら市外の医師から遠隔健診を受けたりできる仕組みを導入した。
遠野市では08年11月までに47人の妊婦が遠隔健診を利用。先進的な事例として首相補佐官をはじめ全国から視察が相次ぎ、複数の地域でこのシステムの導入を検討中だ。
遠野市の試みが好評だったことや経産省の事業が08年度で終了することなどから、県は08年度、周産期医療対策費として約8千万円を計上。総合周産期母子医療センターの岩手医大にサーバーを設置し、各医療機関と市町村の保健担当課を結ぶ情報ネットを構築。09年度予算案にも約6千万円を盛り込み、稼働に合わせ、普及、啓発を進める方針だ。
妊婦の同意を得たうえで、医療機関が健診データなどを電子カルテに入力することで、市町村の担当課も異常があればすぐに把握し、保健師や助産師による訪問指導などを行えるようになる。産後うつなどメンタル面でのケアでも、医療機関から自治体にハイリスク産婦の情報を通知し、連携して対応できる。容体の悪化による緊急搬送時には、受け入れ先がデータを即座に把握できる。また、例えば山間部の町村が検査機器を導入すれば、遠野市のように基幹病院と結んでの遠隔健診も行えるという。
医師不足は深刻だ。00年に県内に115人いた産婦人科医は、06年に90人に減った。ここ6、7年で県立病院6カ所が産科を休止し、今後も増える見通しは立たない。遠野と県のシステム構築に携わった県立大船渡病院の小笠原敏浩副院長は「山がちで広い県土や医師不足といったハンディを補うためには、ITを利用するしかない」と話す。
課題は、各医療機関と自治体の参加だ。参加に強制力はなく、個々の病院や市町村がデータを入力して活用しなければ、ネット構築の意味は失われる。県児童家庭課は昨年秋から自治体の担当者に仕組みを説明。近く、各自治体に公式に参加の意向を尋ねる予定だ。亀井千枝子・少子化担当課長は「母子を地域全体で連携し、支えるための情報ネット。ぜひ参加を」と話す。
ネットづくりを推進する県産婦人科医会の小林高会長は「医療機関も自治体も、できる所から加わり、輪を広げていってほしい」と話した。
(朝日新聞、岩手、2009年2月12日)
****** 中日新聞、長野、2009年2月11日
出産へ「安心ネット」定着 松本地域、医療機関の分担進む
医師不足で分娩(ぶんべん)を扱う病院が減少する中、安全な出産を確保するため昨年始まった松本地域出産・子育て安心ネットワーク制度が定着し、分娩と健診を扱う医療機関の役割分担が進んできた。松本市では、妊娠当初から分娩医療機関で診てもらう市民の数が半減し、診療所など分娩を扱わない医療機関に移ってきている。
同制度では、分娩を扱わない地域の診療所や開業医が「健診協力医療機関」として妊婦健診を担当し、分娩医療機関の負担を軽減する。妊婦は共通カルテ「共通診療ノート」を持ち、異なる医療機関で情報を共有する。
市によると、制度が本格化した昨年7月から今年1月までで、妊娠が判明した市民が受けた妊娠証明のうち、分娩医療機関の取扱件数は前年同期比54・2%減の356件。健診協力医療機関は同121・2%増の823件だった。
妊娠証明を扱った医療機関が妊婦健診を実施するのが一般的で、妊婦健診が分娩医療機関から健診協力医療機関へとシフトしていることが浮き彫りになった。
ネットワーク加盟の他市町村でも同様に医療機関の役割分担が進んでいるとみられる。
保健師として妊婦の相談にのっている同市健康づくり課の古畑崇子課長補佐は「『分娩医療機関でずっと診てほしい』という声も一部にはあるが、みんなが安心してお産ができる制度として、おおむね理解してもらっている」と話した。【坪井千隼】
(中日新聞、長野、2009年2月11日)
****** 中国新聞、山口、2009年2月4日
細る産科 引退できぬ
命の誕生を励みに
岩国病院
早朝から続く外来の波がようやく途絶えた。診察室の時計を見ると、午後二時少し前。昼からは分娩(ぶんべん)、その後は入院患者の診察…。白髪を束ねた頭の片隅で、素早く予定を整理する。「今のうちに昼飯をとるか」。院内給食をかき込んで、何とか二時には再開できるな―。
産婦人科と小児科のほか、内科や整形外科も掲げる岩国市の岩国病院。七十三歳になる庄司孝院長は、唯一の常勤の産科医でもある。五十年近い経験の中で、産科を取り巻く異変を実感する。「少子化が進んでいるのに昔より忙しい。産科医が減り、妊婦さんが数少なくなった病院に集中しているんです」
▽診察は週6日
昨夏も、市内の産婦人科が分娩をやめた。「年齢的に僕もいつまでやれるか…」。地域の将来像は見えない。
市内の出産できる病院・診療所は現在、三カ所。十年前の三分の一に減った。うち二カ所を自分たち開業医が支える現状。「精いっぱいやるしかない。今を切り抜けたら道が開けるはず」。自らにそう言い聞かせる。
若い医師が年々、産科医を志望しなくなった。「実際、3K職場ですから」と庄司院長。同年代の医師が次々と引退する中、自身は週六日、一日平均七十人の患者を診察。二十四時間体制でお産に備える。
パート勤務医らの応援も得て何とか維持しているのが実情。「働きづめの上に、医療訴訟のリスクも高い。若い人が敬遠しても仕方がないでしょう」
▽志す人は多い
それでも、と思う。「新しい命の誕生に立ち会うのは、大きな生きがいです」。年間三百人以上の新生児を取り上げてきた。
かつての赤ちゃんが妊婦となり、再びこの病院で出産することもしばしば。「孫娘がお産するようなもん」。笑顔は〝おじいちゃん〟のようだ。
病院で生まれた子どもや母親を招き九年前、市内のホテルでクリスマス会を開いた。赤ちゃんから妊婦まで約六百人が集った。「彼女らのためにも頑張ろう」。決意が今も続いている。
「実は研修医で産科を志す人は多いんです」。庄司院長は指摘する。「彼らを引き留めるため、僕ができることは一つ。仕事の魅力を伝え、後輩たちを勇気づけることなんですね」 【和多正憲】
産科医不足 全国で産科医が不足し、分娩できる医療施設が減り続けている。県健康福祉部によると、二〇〇六年末時点で、県内の産科医は百十五人。一九九六年の百四十八人から、22・3%減となっている。分娩施設数も今年一月現在、病院と診療所を合わせて四十カ所と減少傾向が続く。 現場を支える開業医の高齢化も深刻だ。過去五年間で、県内で新規開業した産科は三カ所。若い医師の産科離れが深刻化している。
(中国新聞、山口、2009年2月4日)
****** 毎日新聞、群馬、2009年1月9日
医療過疎:/6 産婦人科医
◇地域から消える産声
長野原町応桑の主婦、安済真由美さん(33)の大きく張ったおなかには、4人目の赤ちゃんが宿る。これまでの3人と同様に、同町の西吾妻福祉病院に入院して出産に備えている。「何かあれば家族が来てくれる。近くの病院は安心できる」
ところが、産婦人科医の不足が進んだ地域では、かつて当たり前だった「自宅近くでの出産」や「里帰り出産」に、黄信号がともっている。
吾妻郡では05年4月、それまで中心的な存在だった原町赤十字病院(東吾妻町)から、産婦人科の常勤医がいなくなった。その後は西吾妻福祉病院が、常勤医のいる唯一の公立病院となったが、その数はわずか1人。倉澤剛太郎医師(39)が開業医のけんもち医院(中之条町)と連携をとりながら、年間100-150人の分娩(ぶんべん)を担っている。
常勤医が1人になった07年4月から、倉澤医師に休みはほとんどない。分娩の3分の2は時間外だ。分娩が始まれば携帯電話で呼び出され、初産だと丸一日かかることもある。2人の分娩に同時に立ち会ったりもする。相談できる医師がいないため、不安になることも少なくない。
「辞めたいと思うこともあった。でもここで産みたいという人の声を無視できない」。常勤医が1人補充される今春までの辛抱と言い聞かせてきた。
県内の産婦人科の勤務医は06年末で72人と、4年前から17人減った。勤務の過酷さに加え、訴訟に発展することもある出産時のリスクを懸念する若い医師が、開業医や他の診療科に流出してしまっているのが現状だ。
地域による偏在も目立つ。前橋医療圏の32人に対し、富岡は4人、吾妻はわずか2人。郡部の数少ない分娩台が埋まった時、都市部への搬送にどのぐらい時間がかかるか。一刻を争う場合も想定され、妊婦の不安も募る。
倉澤医師は「地域とお産は切っても切れない。特殊な診療科になってしまった産婦人科を、総合医やかかりつけ医と連携させられれば」と、地域医療と産婦人科の融合の必要性を指摘する。
だが、即効性のある対策が見当たらないのも事実だ。県医務課は「報酬も含め産婦人科の労働条件を改善し、やる気のある医師を地道に集める以外にとるべき方法はない」と話す。
(毎日新聞、群馬、2009年1月9日)
箱根温泉の予約なら
コメント(私見):
産婦人科の場合は、いつお産になるか全くわからないので、分娩件数が多かろうが少なかろうが、24時間体制で誰かが常に病院の近辺に拘束されます。例えば、年間分娩件数が150件程度の施設だと、平均すれば分娩は2~3日に1件程度しかないので、分娩に備えてずっと病院内に張り付いていたとしても、実質何日もほとんど手持ち無沙汰のこともあるかもしれません。しかし、いくら仕事がなくても、いざという時に備えて病院から離れることができません。そして、いざお産が始まって、いよいよ産婦人科医の出番だと思って張り切っても、分娩経過が異常化した場合は、常勤産婦人科医1人だけでは十分に対応できず、人手が十分に整っている施設に救急車で母体搬送せざるを得ないかもしれません。
現代の産婦人科の診療では、個人プレーでできることには大きな限界があり、周産期の診療にしろ、婦人科腫瘍の診療にしろ、非常に大きなチームで行う必要があります。しかし、地方の公的病院では、病院単独でいくら医師確保の努力をしても、必要な常勤医師数をすべて自前でまかなうのは非常に困難です。
地域に産婦人科の機能を残していこうとするのであれば、将来的に地域で必要とされる産婦人科専門医をいかにして養成していくのか?また、養成された産婦人科医をいかにバランスよく各地域に配置していくのか?ということを真剣に考える必要があります。
現状では、国や県には医師派遣機能をほとんど期待できません。また、民間の医師派遣会社に依存して、地方拠点病院の産婦人科常勤医を長期・安定的に確保していくのも不可能です。いろいろな意見があるとは思いますが、現実的に考えて、地方の拠点病院に産婦人科医を長期・安定的に供給できる機関は、大学病院以外に考えられません。
病院や医師の集約化は、相当強力なリーダーシップが存在しない限り、実行は非常に困難です。もしも、『多くの人を引きつけるカリスマ性のある教授の強力なリーダーシップの下に、毎年新たな人材が安定・継続的に確保され、大学病院や県内各地の拠点病院で多くの有能な人材が育ち、県内各地で医師が適正に配置されるような状況が実現する』とすれば、それはそれで理想的なあり方の一つだと思います。
****** 毎日新聞、北海道、2009年2月13日
医療クライシス:北海道緊急事態/1
産科空白地区・根室
◇分娩中止2年、再開メド立たず
◇病院遠く車内で出産
「ここで産むしかない」。08年6月9日早朝、突然の陣痛に襲われた渡辺愛(まな)さん(18)は、根室市内の実家から約120キロも離れた釧路市内の病院へ向かう途中、夫智明さん(29)の運転する自家用車の中で破水した。
病院まで300メートルに迫ったところで赤ちゃんの頭が出てきた。智明さんは慌てて車を止め、自ら赤ちゃんを取り上げた。「オギャー」。元気な泣き声を上げた2750グラムの長男はそのままバスタオルにくるんだ。急いで病院の玄関前まで車を移動させ、待機していた医師に車内でへその緒を切ってもらった。
根室市内は分娩(ぶんべん)できる医療機関のない「産科空白地区」。愛さんの出産予定日は6月21日だった。一歩間違えば母子の命にかかわる危険な状況。愛さんは「まさか車の中で産むことになるなんて。とにかく痛くて、一刻も早く病院に着いてくれることだけを考えていた」と振り返る。
渡辺さん一家は今、智明さんが牛のひづめを整える牛削蹄師(ぎゅうさくていし)の資格を取るため根室管内中標津町に住む。智明さんは「できれば根室で開業したいけど、次の子を産むときのことを考えると……」。安心して子どもを産めない根室市に戻ることには二の足を踏んでいる。
◇
根室市が産科空白地区になったのは、市立病院が分娩を中止した06年9月以降。妊婦健診は釧路赤十字病院から週2回、産婦人科医が派遣される市立病院で受けられたが、出産予定日の10日前までには釧路市や根室管内別海町、中標津町の病院に入院するケースが多い。同市の07年出生数は230人。産科医不在による最悪の事態は免れているものの、07年3月にも当時23歳の女性が約60キロ離れた別海町の病院へ向かう途中に「マイカー出産」したという。
市立病院には今年1月、根室の緊急事態を聞きつけた産婦人科医の吉田孝さん(42)が広島県福山市から赴任した。しかし、分娩再開に必要な産科医2人体制を確保できるメドはまだ立っていない。
◇
産婦人科医の不足は全国的に深刻で、96年に1万847人いた産婦人科医が06年には11・5%少ない9592人に急減した。この傾向は道内ではさらに顕著で、479人から381人へ20・5%減となっている。
このため道内の産婦人科・産科の医療機関数も96年の255から05年は198まで減り、分娩を扱っているのは07年12月現在104。南檜山地域では出産できる機関がゼロとなり、道内31病院が指定されている「周産期母子医療センター」のうち市立函館▽道立江差▽滝川市立▽旭川赤十字の4病院は分娩を休止している状況だ。=つづく
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医師不足や医療費削減、さらに自治体財政の悪化などによる「医療クライシス」が進んでいる。過疎化の進んだ地方だけでなく、札幌の都市部にも危機が潜む道内の現状を連載で報告する。
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■ことば
◇医師不足
医師の総数が減っているわけではないが、産婦人科や小児科、外科など激務といわれる診療科の勤務医不足が全国的に社会問題化。特に地方の医師不足は深刻で、04年度から始まった新卒医師の臨床研修制度により大学医局から地方に派遣される医師が減ったことも背景にある。産婦人科医などは訴訟リスクの高さも敬遠され、不足に拍車がかかっている。厚生労働省は昨年、従来の医師抑制方針を転換し、医学部の定員増を打ち出した。
(毎日新聞、北海道、2009年2月13日)
****** 毎日新聞、北海道、2009年2月14日
医療クライシス:北海道緊急事態/2
未熟児救う高度治療
◇NICU増えても医師不足
◇都市部にも「落とし穴」
小さな命が懸命に生きようとしていた。
1月下旬、札幌市中央区の市立札幌病院9階にある新生児集中治療室(NICU)を特別に見せてもらった。体温や脈拍をチェックするモニターがずらりと並び、プラスチックのふたに覆われた九つの保育器は、鼻や口に細い管を入れられた小さな赤ちゃんたちで満床状態。元気な泣き声は聞こえず、室内は静寂に包まれていた。
◇
07年11月15日夜、札幌市北区の女性宅で生まれた未熟児の受け入れ要請があったときも満床だった。同病院には、NICUでの治療が一段落した赤ちゃん用の回復期病床(GCU)が32床あり、比較的状態の落ち着いた子をGCUに移すことも考えられたが、当日は1人しかいない新生児科の当直医が治療で手が離せなかったため受け入れを断ったという。
この未熟児はほかの6病院でも受け入れを断られ、119番通報から約1時間半後、同市手稲区の病院に搬送されたときには心肺停止状態で、後日、死亡した。札幌ほど新生児の治療体制が整っていない地域では、NICUが満床でもGCUをやり繰りするなど無理をしてでも受け入れているのが実情。市立札幌病院新生児科の服部司部長は「(札幌市内には)他にも高度な医療を行う病院が複数あるという状況が落とし穴だった」と救急・病院間の連携のまずさを認める。
◇
同市ではその後、市産婦人科医会が産科救急の輪番制から撤退する事態となったため、市夜間急病センターに助産師2人を配置し、救急搬送可能な病院の情報を集約して救急隊と連携する新システムを08年10月から導入。妊婦・新生児の受け入れ拒否は起こらなくなっている。しかし、市産婦人科医会の遠藤一行会長は「患者の生命に危険が及ぶ問題が起きないとは限らない」と指摘する。NICUと小児科・新生児科の医師数を増やさない限り根本的な解決にならないからだ。
医学の進歩により数百グラムの体重で生まれた超未熟児も救えるようになり、一方でリスクの高まる40歳以上の高齢出産も増加。2500グラム未満の未熟児の出生割合は札幌市内で88年の6・8%から06年は9・7%に増えた。市立札幌病院は09年度にNICUを6床、北海道大学病院も3月までに3床増やす計画だが、NICUの需要を賄える保証はない。新生児科医を含む道内の小児科医は06年12月末現在1117人。10年間で351人も減っており、ここでも医師不足が大きな壁となって立ちはだかる。
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■ことば
◇NICU
未熟児や重い病気を抱えた新生児を24時間体制で治療する新生児集中治療室。国は年間出生数1000人当たり3床を整備基準とし、病床数に応じた医師・看護師数の配置を求めている。札幌市を含む道央圏には104床あり、国の基準(78床)は上回るものの、医師・看護師数も満たすのは57床にとどまる。道内のほかの医療圏も道北27床▽オホーツク15床▽釧路・根室15床▽十勝13床▽道南12床で基準に達しているが、医師・看護師数を満たす施設は半数もない状況だ。
(毎日新聞、北海道、2009年2月14日)
****** 朝日新聞、岩手、2009年2月12日
「県周産期医療情報ネットワーク」稼働へ
深刻な産婦人科医不足が続くなか、県内の病院と自治体を情報通信技術(IT)で結ぶ「県周産期医療情報ネットワーク」が、09年度から稼働する。独自の医療情報ネットを構築して全国的な注目を受けた遠野市の仕組みを、県が拡大展開するかたちだ。個々の病院や市町村の参加がカギを握ることになりそうだ。
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「県周産期医療情報ネットワーク」は、経済産業省の医療情報システム実証事業を活用して遠野市が設置した市助産院「ねっと・ゆりかご」の医療情報ネットを発想の基盤にしている。
遠野市では02年から市内に産婦人科常勤医がおらず、出産できない。妊婦健診を受けようにも、車で1時間以上かけて盛岡などの産婦人科に出向かなければならない状況だった。
そこで07年12月、市内に公営助産院をつくって盛岡赤十字病院など提携医療機関とネットで結び、妊婦の医療データをスムーズにやりとりしたり、検査データを即時に送ることで遠野に居ながら市外の医師から遠隔健診を受けたりできる仕組みを導入した。
遠野市では08年11月までに47人の妊婦が遠隔健診を利用。先進的な事例として首相補佐官をはじめ全国から視察が相次ぎ、複数の地域でこのシステムの導入を検討中だ。
遠野市の試みが好評だったことや経産省の事業が08年度で終了することなどから、県は08年度、周産期医療対策費として約8千万円を計上。総合周産期母子医療センターの岩手医大にサーバーを設置し、各医療機関と市町村の保健担当課を結ぶ情報ネットを構築。09年度予算案にも約6千万円を盛り込み、稼働に合わせ、普及、啓発を進める方針だ。
妊婦の同意を得たうえで、医療機関が健診データなどを電子カルテに入力することで、市町村の担当課も異常があればすぐに把握し、保健師や助産師による訪問指導などを行えるようになる。産後うつなどメンタル面でのケアでも、医療機関から自治体にハイリスク産婦の情報を通知し、連携して対応できる。容体の悪化による緊急搬送時には、受け入れ先がデータを即座に把握できる。また、例えば山間部の町村が検査機器を導入すれば、遠野市のように基幹病院と結んでの遠隔健診も行えるという。
医師不足は深刻だ。00年に県内に115人いた産婦人科医は、06年に90人に減った。ここ6、7年で県立病院6カ所が産科を休止し、今後も増える見通しは立たない。遠野と県のシステム構築に携わった県立大船渡病院の小笠原敏浩副院長は「山がちで広い県土や医師不足といったハンディを補うためには、ITを利用するしかない」と話す。
課題は、各医療機関と自治体の参加だ。参加に強制力はなく、個々の病院や市町村がデータを入力して活用しなければ、ネット構築の意味は失われる。県児童家庭課は昨年秋から自治体の担当者に仕組みを説明。近く、各自治体に公式に参加の意向を尋ねる予定だ。亀井千枝子・少子化担当課長は「母子を地域全体で連携し、支えるための情報ネット。ぜひ参加を」と話す。
ネットづくりを推進する県産婦人科医会の小林高会長は「医療機関も自治体も、できる所から加わり、輪を広げていってほしい」と話した。
(朝日新聞、岩手、2009年2月12日)
****** 中日新聞、長野、2009年2月11日
出産へ「安心ネット」定着 松本地域、医療機関の分担進む
医師不足で分娩(ぶんべん)を扱う病院が減少する中、安全な出産を確保するため昨年始まった松本地域出産・子育て安心ネットワーク制度が定着し、分娩と健診を扱う医療機関の役割分担が進んできた。松本市では、妊娠当初から分娩医療機関で診てもらう市民の数が半減し、診療所など分娩を扱わない医療機関に移ってきている。
同制度では、分娩を扱わない地域の診療所や開業医が「健診協力医療機関」として妊婦健診を担当し、分娩医療機関の負担を軽減する。妊婦は共通カルテ「共通診療ノート」を持ち、異なる医療機関で情報を共有する。
市によると、制度が本格化した昨年7月から今年1月までで、妊娠が判明した市民が受けた妊娠証明のうち、分娩医療機関の取扱件数は前年同期比54・2%減の356件。健診協力医療機関は同121・2%増の823件だった。
妊娠証明を扱った医療機関が妊婦健診を実施するのが一般的で、妊婦健診が分娩医療機関から健診協力医療機関へとシフトしていることが浮き彫りになった。
ネットワーク加盟の他市町村でも同様に医療機関の役割分担が進んでいるとみられる。
保健師として妊婦の相談にのっている同市健康づくり課の古畑崇子課長補佐は「『分娩医療機関でずっと診てほしい』という声も一部にはあるが、みんなが安心してお産ができる制度として、おおむね理解してもらっている」と話した。【坪井千隼】
(中日新聞、長野、2009年2月11日)
****** 中国新聞、山口、2009年2月4日
細る産科 引退できぬ
命の誕生を励みに
岩国病院
早朝から続く外来の波がようやく途絶えた。診察室の時計を見ると、午後二時少し前。昼からは分娩(ぶんべん)、その後は入院患者の診察…。白髪を束ねた頭の片隅で、素早く予定を整理する。「今のうちに昼飯をとるか」。院内給食をかき込んで、何とか二時には再開できるな―。
産婦人科と小児科のほか、内科や整形外科も掲げる岩国市の岩国病院。七十三歳になる庄司孝院長は、唯一の常勤の産科医でもある。五十年近い経験の中で、産科を取り巻く異変を実感する。「少子化が進んでいるのに昔より忙しい。産科医が減り、妊婦さんが数少なくなった病院に集中しているんです」
▽診察は週6日
昨夏も、市内の産婦人科が分娩をやめた。「年齢的に僕もいつまでやれるか…」。地域の将来像は見えない。
市内の出産できる病院・診療所は現在、三カ所。十年前の三分の一に減った。うち二カ所を自分たち開業医が支える現状。「精いっぱいやるしかない。今を切り抜けたら道が開けるはず」。自らにそう言い聞かせる。
若い医師が年々、産科医を志望しなくなった。「実際、3K職場ですから」と庄司院長。同年代の医師が次々と引退する中、自身は週六日、一日平均七十人の患者を診察。二十四時間体制でお産に備える。
パート勤務医らの応援も得て何とか維持しているのが実情。「働きづめの上に、医療訴訟のリスクも高い。若い人が敬遠しても仕方がないでしょう」
▽志す人は多い
それでも、と思う。「新しい命の誕生に立ち会うのは、大きな生きがいです」。年間三百人以上の新生児を取り上げてきた。
かつての赤ちゃんが妊婦となり、再びこの病院で出産することもしばしば。「孫娘がお産するようなもん」。笑顔は〝おじいちゃん〟のようだ。
病院で生まれた子どもや母親を招き九年前、市内のホテルでクリスマス会を開いた。赤ちゃんから妊婦まで約六百人が集った。「彼女らのためにも頑張ろう」。決意が今も続いている。
「実は研修医で産科を志す人は多いんです」。庄司院長は指摘する。「彼らを引き留めるため、僕ができることは一つ。仕事の魅力を伝え、後輩たちを勇気づけることなんですね」 【和多正憲】
産科医不足 全国で産科医が不足し、分娩できる医療施設が減り続けている。県健康福祉部によると、二〇〇六年末時点で、県内の産科医は百十五人。一九九六年の百四十八人から、22・3%減となっている。分娩施設数も今年一月現在、病院と診療所を合わせて四十カ所と減少傾向が続く。 現場を支える開業医の高齢化も深刻だ。過去五年間で、県内で新規開業した産科は三カ所。若い医師の産科離れが深刻化している。
(中国新聞、山口、2009年2月4日)
****** 毎日新聞、群馬、2009年1月9日
医療過疎:/6 産婦人科医
◇地域から消える産声
長野原町応桑の主婦、安済真由美さん(33)の大きく張ったおなかには、4人目の赤ちゃんが宿る。これまでの3人と同様に、同町の西吾妻福祉病院に入院して出産に備えている。「何かあれば家族が来てくれる。近くの病院は安心できる」
ところが、産婦人科医の不足が進んだ地域では、かつて当たり前だった「自宅近くでの出産」や「里帰り出産」に、黄信号がともっている。
吾妻郡では05年4月、それまで中心的な存在だった原町赤十字病院(東吾妻町)から、産婦人科の常勤医がいなくなった。その後は西吾妻福祉病院が、常勤医のいる唯一の公立病院となったが、その数はわずか1人。倉澤剛太郎医師(39)が開業医のけんもち医院(中之条町)と連携をとりながら、年間100-150人の分娩(ぶんべん)を担っている。
常勤医が1人になった07年4月から、倉澤医師に休みはほとんどない。分娩の3分の2は時間外だ。分娩が始まれば携帯電話で呼び出され、初産だと丸一日かかることもある。2人の分娩に同時に立ち会ったりもする。相談できる医師がいないため、不安になることも少なくない。
「辞めたいと思うこともあった。でもここで産みたいという人の声を無視できない」。常勤医が1人補充される今春までの辛抱と言い聞かせてきた。
県内の産婦人科の勤務医は06年末で72人と、4年前から17人減った。勤務の過酷さに加え、訴訟に発展することもある出産時のリスクを懸念する若い医師が、開業医や他の診療科に流出してしまっているのが現状だ。
地域による偏在も目立つ。前橋医療圏の32人に対し、富岡は4人、吾妻はわずか2人。郡部の数少ない分娩台が埋まった時、都市部への搬送にどのぐらい時間がかかるか。一刻を争う場合も想定され、妊婦の不安も募る。
倉澤医師は「地域とお産は切っても切れない。特殊な診療科になってしまった産婦人科を、総合医やかかりつけ医と連携させられれば」と、地域医療と産婦人科の融合の必要性を指摘する。
だが、即効性のある対策が見当たらないのも事実だ。県医務課は「報酬も含め産婦人科の労働条件を改善し、やる気のある医師を地道に集める以外にとるべき方法はない」と話す。
(毎日新聞、群馬、2009年1月9日)
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