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■先日、9日夜携帯メールをみたら「CCTVが燃えてます!」と北京の知人からの知らせ。何?と、ネット検索したら、CBD(中央商務区)にある世界一建設費が高いと悪名高い(?)CCTV新社屋に隣接する高層ビル(30階建て述べ床面積10万平方?)が本当に全焼していた。
■元宵節(旧暦1月15日)の爆竹花火が原因という話で、なんでもCCTV新社屋建設プロジェクトの主任が、CCTV新社屋建設地で花火を見る会を企画。招待状まで出して人をあつめ、本来なら市当局の許可が必要な火薬量の多い式典用花火700発を勝手に打ち上げたんだと。
■しかし、消火活動中の消防士が殉職しているので、笑い話にではすまされない。10日、CCTVは社員が事件にかかわっていたとして、謝罪を発表した。しかし、ネットの掲示板には、普段えらそうに党の喉舌(宣伝機関)とえばっているCCTVのまぬけぶりをあざ笑うかのようなバッシング書き込みが殺到した(こまめに削除はされているが)。最近はCCTVに対し「洗脳テレビだ!」と批判する知識人の凌滄州氏らを中心としたCCTVボイコット運動がネット上で展開されたりして、庶民の不満の矛先がCCTVに向きやすい下地があったせいか、「水に落ちた犬はこわくねぇぜ」「社長を更迭しろ!」「ざまあみさらせ」みたいな雑言も少なくない。
■実際、この大火事周辺で、彩りとばかりに、庶民たちの花火の打ち上げがとぎれることなく続けられていた。日本人なら、おそらく隣で大火事が起きているときに(しかも消防士は必死に消火作業中)、花火を打ち上げ続ける度胸はとてもない。だってあまりに不謹慎…。せいぜい携帯電話で写真をとるくらいだ。
■いやいや、と説明するのはやはり中国人の友人。「今回の大火事の背景には、CCTVの特権意識というのがある。当局の許可が必要な北京五輪のオープニングに使われるような式典用花火(A類花火)を数百発、勝手に打ち上げ人をあつめて花火大会をひらこうなんて、庶民にはとてもマネできない特権階級ならではの豪奢なお遊びだろう。そのお遊びがすぎて、数億元といわれる自社ビルを燃やしてしまう。そこに庶民としては笑いがこらえられないのだ」と。
■さて、この特権階級の傲慢な遊びが原因で、この中国の伝統行事であり一年で最大のイベントである春節の爆竹花火が再び禁止されたり、時間や場所などの制限が設けられるかもしれない。そういう議論がにわかに上がっている。
■中国の春節の爆竹花火は1989年の天安門事件後の1993年、北京市中心部では危険を理由に禁止されていた。本当のところは、爆竹の音が天安門事件当時の発砲を連想させるといったのが理由らしい。それが解禁になったのは2005年。背景には経済格差などでたまりはじめた庶民の不満・うっぷんを晴らすはけ口が必要だろうという判断もあったときく。
■確かに解禁直後の2005年春節は、戦争のよう爆音と夜空を燃やす花火に、人々は日頃のうさをわすれ、うかれ、その翌朝、硝煙くさい街角で出会う人々は、つきものが落ちたようにすっきり、晴れ晴れとした顔つきで、昨夜はたのしかったね〜とあいさつしあった。
■以降、打ち上げられる花火は年々豪華になり、その量もふえている。世界同時不況で中国でもばんばん企業が倒産しているさなかの今年の春節は、北京だけで昨年より3割増しの60万箱の爆竹花火が打ち上げられた。爆竹花火はけっこう値がはるが、こういうものは、景気のわるいときほど、社会不満がたまっているときほど派手になる傾向にある。
■しかし、一方で爆竹花火事故も増えており、今年は春節前夜から5日間で103件のボヤと403人の負傷者が出ていた。死者は毎年1人はでている勘定だ。割安のヤミ製造の爆竹花火も多く、そういうものは火薬量が安定しておらずしばしば事故の原因にもなった。そういう中で、このCCTV大火災がおこり、「春節の爆竹花火は文明的ではない」「大都市で爆竹花火は禁止すべきだ」という意見がでてきはじめた。
■賛否両論あるが、新華ネットのアンケートでは68%が禁止に賛成なのだという。禁止に反対は18%。このアンケート結果は意外であった。私のまわりはみんな、けっこう春節の花火を楽しみにしている。ひょっとするとネットで回答する階層と、春節で花火を上げる階層は違うのかもしれないが。ただ春節の爆竹花火はだいたい一ヶ月分の給料を費やすというくらい、お高いものだから、いろんな意味で負担なのかもしれいない。あんな火事をみれば、自分の家が燃えたらどうしようとか心配になるし、空気も相当よごれるしね。
■一方で、国務院運営の「中国ネット」にはこういう意見も発表されていた。「包丁は料理をつくるために使うが、使い方次第で人も殺せる。だからって包丁禁止にならない。遠慮なくいわせてもらえれば、CCTVの火事は?火遊びすぎてやけどする?のことわざみたいなもので、他人を責めることも、ましてや花火をせめることもできない。この事件が春節爆竹花火禁止の理由になること自体おかしい」
「環境、防災の観点からいえば、春節の爆竹花火禁止は正しい。中国の伝統文化の観点からいえば、爆竹花火の解禁は正しい。その二者のバランスをとる答えをもとめなくては。」
「香港だってあれだけ高層ビルが密集しているのに、毎年花火をあげているが、火事はおきたためしがない」
「都市の高層ビルの規格、オフィスビルの防災措置、消火設備の交換など、そういうことのほうを反省しなくてはいけないのでは」
■私個人の疑問をいえば、たかが打ち上げ花火で(でかいとはいえ、素人があげるのだ、日本の尺玉とかああいうレベルではないと思う)高層ビルが3時間半で全焼(鎮火までは約6時間)するなんて、あまりにも脆いのではないだろうか。オープン一ヶ月前のほぼ完成済みのビルときく。高層ビルとしての防火構造などどうなっているのだろうか。ひょっとして欠陥建築ではなかったか、そっちの方を検証する必要はないのだろうか。
■現地からの報道によれば、火災当時のCCTV付近の風速は秒速0・9M、湿度50%。106日連続で雨がふっておらず比較的乾燥していたとはいえ、火が一瞬にして燃え広がるような状態ではないという。しかし、このビルの外壁に使用されていたアルミ板は高温に弱く、火災の最中、外壁から溶けた白銀色のアルミ滴がぼだぼ降り注ぎ、現場の周辺に白銀色のみずたまりをつくっていたそうだ。だから消火活動もままならなかったらしい。
■このビルに入る予定だったマンダンリン・ホテルのセールスマネジャーは私の友人で、完成のあかつきには招待するといってくれていた。本当なら、北京五輪に会わせてオープンする予定だったのが工事がおくれて年明けにずれこんでいたのだ。もしホテルがオープンしたあとで、客がいる状況で、この春節花火イベントが行われていたら、大惨事になっていたのではないだろうか?
■中国ネットのくだんの論文は次のようにまとめている。春節の爆竹花火による火事は、歴史をふりかえれば、明正徳9年に紫禁城の乾清宮と坤寧宮が焼失した例があった。昔の木造建築はいったん火がつくと、水の少ない北京では消し止めるのはまず難しい。しかし、現代の高層ビルの防火技術は、当時と比べると比べものにならないくらい進んでいるはず。「伝統の火」というものは、油断すると簡単にきえるが、火事を防ぐのは古代中世の昔にくらべればそんなに難しくないはず…。
■北京の街は、五輪を意識しはじめたころから、外国の設計事務所や建築家のデザインを使った、やたら金のかかる、見た目の奇抜さやかっこうよさばかりを追及したビルが増えた。しかし、本当に追及すべきは、その都市の歴史や文化、気候風土にあった性能のよい建築であるはずだ。火災が起きやすい街なら防災に適した街づくり。地震が起きやすいなら耐震を最優先した建築。みばのよい華奢な燃えやすいビルが増えたから、伝統的な春節の爆竹花火をやめましょう、というのは、私もあまりに伝統軽視ではないかと、もったいなく思う。
■爆竹花火の是非より、もういちど街づくり、建築の理想というものを考えなおした方がいいのではないか。ちょうど、1950年代に古都北京保存のために苦闘した梁思成の足跡と北京の街の変貌を取材した「北京再造−古都の命運と建築家梁思成」(王軍著・多田麻美訳、集広舎発行)を読んでいたところなので、そんなふうな思いにいたったのだった。
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■先日、9日夜携帯メールをみたら「CCTVが燃えてます!」と北京の知人からの知らせ。何?と、ネット検索したら、CBD(中央商務区)にある世界一建設費が高いと悪名高い(?)CCTV新社屋に隣接する高層ビル(30階建て述べ床面積10万平方?)が本当に全焼していた。
■元宵節(旧暦1月15日)の爆竹花火が原因という話で、なんでもCCTV新社屋建設プロジェクトの主任が、CCTV新社屋建設地で花火を見る会を企画。招待状まで出して人をあつめ、本来なら市当局の許可が必要な火薬量の多い式典用花火700発を勝手に打ち上げたんだと。
■しかし、消火活動中の消防士が殉職しているので、笑い話にではすまされない。10日、CCTVは社員が事件にかかわっていたとして、謝罪を発表した。しかし、ネットの掲示板には、普段えらそうに党の喉舌(宣伝機関)とえばっているCCTVのまぬけぶりをあざ笑うかのようなバッシング書き込みが殺到した(こまめに削除はされているが)。最近はCCTVに対し「洗脳テレビだ!」と批判する知識人の凌滄州氏らを中心としたCCTVボイコット運動がネット上で展開されたりして、庶民の不満の矛先がCCTVに向きやすい下地があったせいか、「水に落ちた犬はこわくねぇぜ」「社長を更迭しろ!」「ざまあみさらせ」みたいな雑言も少なくない。
■実際、この大火事周辺で、彩りとばかりに、庶民たちの花火の打ち上げがとぎれることなく続けられていた。日本人なら、おそらく隣で大火事が起きているときに(しかも消防士は必死に消火作業中)、花火を打ち上げ続ける度胸はとてもない。だってあまりに不謹慎…。せいぜい携帯電話で写真をとるくらいだ。
■いやいや、と説明するのはやはり中国人の友人。「今回の大火事の背景には、CCTVの特権意識というのがある。当局の許可が必要な北京五輪のオープニングに使われるような式典用花火(A類花火)を数百発、勝手に打ち上げ人をあつめて花火大会をひらこうなんて、庶民にはとてもマネできない特権階級ならではの豪奢なお遊びだろう。そのお遊びがすぎて、数億元といわれる自社ビルを燃やしてしまう。そこに庶民としては笑いがこらえられないのだ」と。
■さて、この特権階級の傲慢な遊びが原因で、この中国の伝統行事であり一年で最大のイベントである春節の爆竹花火が再び禁止されたり、時間や場所などの制限が設けられるかもしれない。そういう議論がにわかに上がっている。
■中国の春節の爆竹花火は1989年の天安門事件後の1993年、北京市中心部では危険を理由に禁止されていた。本当のところは、爆竹の音が天安門事件当時の発砲を連想させるといったのが理由らしい。それが解禁になったのは2005年。背景には経済格差などでたまりはじめた庶民の不満・うっぷんを晴らすはけ口が必要だろうという判断もあったときく。
■確かに解禁直後の2005年春節は、戦争のよう爆音と夜空を燃やす花火に、人々は日頃のうさをわすれ、うかれ、その翌朝、硝煙くさい街角で出会う人々は、つきものが落ちたようにすっきり、晴れ晴れとした顔つきで、昨夜はたのしかったね〜とあいさつしあった。
■以降、打ち上げられる花火は年々豪華になり、その量もふえている。世界同時不況で中国でもばんばん企業が倒産しているさなかの今年の春節は、北京だけで昨年より3割増しの60万箱の爆竹花火が打ち上げられた。爆竹花火はけっこう値がはるが、こういうものは、景気のわるいときほど、社会不満がたまっているときほど派手になる傾向にある。
■しかし、一方で爆竹花火事故も増えており、今年は春節前夜から5日間で103件のボヤと403人の負傷者が出ていた。死者は毎年1人はでている勘定だ。割安のヤミ製造の爆竹花火も多く、そういうものは火薬量が安定しておらずしばしば事故の原因にもなった。そういう中で、このCCTV大火災がおこり、「春節の爆竹花火は文明的ではない」「大都市で爆竹花火は禁止すべきだ」という意見がでてきはじめた。
■賛否両論あるが、新華ネットのアンケートでは68%が禁止に賛成なのだという。禁止に反対は18%。このアンケート結果は意外であった。私のまわりはみんな、けっこう春節の花火を楽しみにしている。ひょっとするとネットで回答する階層と、春節で花火を上げる階層は違うのかもしれないが。ただ春節の爆竹花火はだいたい一ヶ月分の給料を費やすというくらい、お高いものだから、いろんな意味で負担なのかもしれいない。あんな火事をみれば、自分の家が燃えたらどうしようとか心配になるし、空気も相当よごれるしね。
■一方で、国務院運営の「中国ネット」にはこういう意見も発表されていた。「包丁は料理をつくるために使うが、使い方次第で人も殺せる。だからって包丁禁止にならない。遠慮なくいわせてもらえれば、CCTVの火事は?火遊びすぎてやけどする?のことわざみたいなもので、他人を責めることも、ましてや花火をせめることもできない。この事件が春節爆竹花火禁止の理由になること自体おかしい」
「環境、防災の観点からいえば、春節の爆竹花火禁止は正しい。中国の伝統文化の観点からいえば、爆竹花火の解禁は正しい。その二者のバランスをとる答えをもとめなくては。」
「香港だってあれだけ高層ビルが密集しているのに、毎年花火をあげているが、火事はおきたためしがない」
「都市の高層ビルの規格、オフィスビルの防災措置、消火設備の交換など、そういうことのほうを反省しなくてはいけないのでは」
■私個人の疑問をいえば、たかが打ち上げ花火で(でかいとはいえ、素人があげるのだ、日本の尺玉とかああいうレベルではないと思う)高層ビルが3時間半で全焼(鎮火までは約6時間)するなんて、あまりにも脆いのではないだろうか。オープン一ヶ月前のほぼ完成済みのビルときく。高層ビルとしての防火構造などどうなっているのだろうか。ひょっとして欠陥建築ではなかったか、そっちの方を検証する必要はないのだろうか。
■現地からの報道によれば、火災当時のCCTV付近の風速は秒速0・9M、湿度50%。106日連続で雨がふっておらず比較的乾燥していたとはいえ、火が一瞬にして燃え広がるような状態ではないという。しかし、このビルの外壁に使用されていたアルミ板は高温に弱く、火災の最中、外壁から溶けた白銀色のアルミ滴がぼだぼ降り注ぎ、現場の周辺に白銀色のみずたまりをつくっていたそうだ。だから消火活動もままならなかったらしい。
■このビルに入る予定だったマンダンリン・ホテルのセールスマネジャーは私の友人で、完成のあかつきには招待するといってくれていた。本当なら、北京五輪に会わせてオープンする予定だったのが工事がおくれて年明けにずれこんでいたのだ。もしホテルがオープンしたあとで、客がいる状況で、この春節花火イベントが行われていたら、大惨事になっていたのではないだろうか?
■中国ネットのくだんの論文は次のようにまとめている。春節の爆竹花火による火事は、歴史をふりかえれば、明正徳9年に紫禁城の乾清宮と坤寧宮が焼失した例があった。昔の木造建築はいったん火がつくと、水の少ない北京では消し止めるのはまず難しい。しかし、現代の高層ビルの防火技術は、当時と比べると比べものにならないくらい進んでいるはず。「伝統の火」というものは、油断すると簡単にきえるが、火事を防ぐのは古代中世の昔にくらべればそんなに難しくないはず…。
■北京の街は、五輪を意識しはじめたころから、外国の設計事務所や建築家のデザインを使った、やたら金のかかる、見た目の奇抜さやかっこうよさばかりを追及したビルが増えた。しかし、本当に追及すべきは、その都市の歴史や文化、気候風土にあった性能のよい建築であるはずだ。火災が起きやすい街なら防災に適した街づくり。地震が起きやすいなら耐震を最優先した建築。みばのよい華奢な燃えやすいビルが増えたから、伝統的な春節の爆竹花火をやめましょう、というのは、私もあまりに伝統軽視ではないかと、もったいなく思う。
■爆竹花火の是非より、もういちど街づくり、建築の理想というものを考えなおした方がいいのではないか。ちょうど、1950年代に古都北京保存のために苦闘した梁思成の足跡と北京の街の変貌を取材した「北京再造−古都の命運と建築家梁思成」(王軍著・多田麻美訳、集広舎発行)を読んでいたところなので、そんなふうな思いにいたったのだった。
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